お香の歴史〜どのように日本に伝わり、広がっていったか?〜

お香の歴史〜どのように日本に伝わり、広がっていったか?〜
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香りのはじまり

焚き火

はるかはるか昔。人は火を手に入れることで香りを発見し、木を燃やすことで素晴らしい芳香を生み出せることを知りました。しかし、同時に火は恐ろしい存在であり、神聖なものでもあることも知ることとなりました。

煙は火から生まれ、天に昇っていく。長い間、煙は人々の祈りを天に運ぶ使者と見なされてきました。

また、「perfume(香水)」という言葉はラテン語の「煙を通して」という語源を持ちます。これは香煙を神に捧げ、その煙を通じて神に祈る行為を指しています。古代エジプトやメソポタミア文明では、香りは祈りと深いつながりを持っていました。

仏教の成立とお香の繋がり

仏教は今から約2500年前の紀元前5世紀頃、北インドのカピラバストのアーリア系釈迦族の王子として生まれたゴーダマシッダールタ(釈迦)によって開かれました。

世界の各地では、古くから仏や神に祈る際には「香」はかかせないものとして継承されており、仏教と香の繋がりにはいくつか説があります。その一つは、古い経典に「亡き弟子僧の為に釈迦が香木を持って供養した」と記されていることから、その後の仏教徒は、これにならったといわれています。

日本への伝来

お香の日本伝来も諸説ありますが、その一つが仏教の伝来(538年)とともに伝わったという説が有力です。

〜もう一つの説〜
日本にお香が伝わったもう一つの説は、日本書紀には、
『推古天皇三年、乙卯の春、土佐の国の南の海に夜大なる光あり。また声あって雷の如し。三十ヶ日をへて、夏四月、淡路島の南の岸に着す。島の人、沈水を知らず。薪にまじえて竈に焼く。太子使いをつかわせて、その木を献ぜしむ。その大きさ一囲、長さ八尺なり。その香気、薫ずることはなはだし』と記されており、これが日本の書物に記された最も古いものとなります。日本書紀には、595年に淡路島に沈水(沈香)が漂着し、聖徳太子に献上されたと記されており、これが日本の文献で最古のもと言われていますが、聖徳太子はすでにこれが沈香だということを知っていたのと、仏教儀式には香は欠かせないもののため、仏教伝来とともに伝わってきたという説が濃厚だと言われています。

奈良時代〜お香の調合の仕方が伝わる〜

東大寺

奈良時代になると仏教は盛んになり、この頃にお香の調合技術が中国(唐)より伝わったと言われています。

どうやってお香の調合技術が伝えられたかは諸説ありますが、奈良時代半ばに聖武天皇が、南都仏教界の風紀の乱れを正すための解決策として中国(唐)より正式な僧侶(仏教)を請来する事を決め、鑑真和上が来日した際に、仏教の戒律と共に香の調合技術も伝えたという説が有力です。

来日後、鑑真和上は、仏教のみならず、日本初の様々な文化を伝承したとされています。具体的には、戒壇の建立に関する「仏教建築」、仏像制作の技術、漢方などの「製薬技術」などが挙げられます。そして、日本初のお香作りの技術である「製香技術(合方)」も、鑑真和上が伝授したと言われています。

平安時代〜薫物が流行〜

お香というと仏教との結びつきが強いですが、お香を楽しみ始めたのは奈良時代後期から平安時代だといわれています。

平安時代は、貴族社会の暮らしの中で、いくつかの香料をあわせて作る「薫物」や、その薫物の出来栄えを競う「薫物あわせ」が貴族の間で広がり、趣味の香として香りを楽しむ平安貴族を象徴する文化の一つになりました。

鎌倉時代〜武家に広まる沈一種

権力が貴族から武家にかわった鎌倉時代。この頃、武家に影響を及ぼした臨済宗の宗風は、簡素・清浄・静寂と称されるとおり、「無用性を省いた侘び寂びの文化」といわれ、それは香の用い方にも影響を与えました。

武士たちは、香料の中から「沈香木(伽羅)」の一木だけを薫く「沈一種」が流行しました。

室町時代〜香道の成立〜

室町時代の8代将軍 足利義政は日本文化に多大な影響を与えたといわれています。

足利義政は将軍職を足利義尚に譲ったあと、自らの隠居生活にため京都東山に武家と禅様式を色濃く反映させた山荘「慈照寺(銀閣寺)」の造営をしました。

この山荘には公家や豪商・僧侶などが集い、ここから日本三代芸道といわれる「香道」「華道」「茶道」はじめ、「能楽」「作庭」「連歌」が成立しました。香の分野で活躍したのが、三条西実隆と志野宗信の二人で、この二人が香道の始祖といわれています。

銀閣寺

安土桃山時代〜蘭奢待と織田信長〜

安土桃山時代でお香にまつわるものといえば「蘭奢待」です。

蘭奢待は、奈良の東大寺正倉院に伝わる沈香の名香中の名香といます。この蘭奢待は天皇家の宝物であり、天皇家以外の人がこの蘭奢待を手にいれるというのは、その時代の権力者の象徴といわれたきました。

この蘭奢待をもらった人の中には、足利義政・織田信長・明治天皇がおり、この三人のために切り取った跡が蘭奢待に残されています。

江戸時代〜庶民へと広がる〜

江戸時代は、お線香の製造が始まった時代です。
諸説ありますが、長崎の五島一官がお線香の製造を始めたといわれています。

また、江戸幕府を開いた徳川家康も香木の収集家として知られており、収集されたものは、伽羅が二十七貫、沈香が五十貫といわれています。(貫は重さの単位、1貫は、3,7kg)

明治時代〜西洋文化との融合〜

明治時代になると、西洋文化の影響を受け、香水やアロマテラピーなど、新しい香りの文化が日本に入ってきました。

現代〜多様な香りの楽しみ方〜

約1500年前に日本に伝わったお香は、現在では日常で個人がお香を手軽に愉しめるようになりました。

現代では、伝統的な香りの文化だけでなく、アロマセラピーや香水など、様々な香りの楽しみ方が存在します。お香は、リラックス効果や集中力アップ効果など、様々な効果が期待できることから、幅広い世代に人気があります。

お香の歴史は、日本の文化や精神性、そして人々の暮らしと香りの関わり方を教えてくれます。お香を焚きながら、日本の歴史と伝統を感じてみてはいかがでしょうか。

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